管理者 兼 看護師 :山崎みゆきさんへインタビュー
精神特化の看護はそもそも一般に知られておらず、まだまだ偏見があって地域でひっそりと暮らしている人が多いです。
精神特化看護師とは
–精神特化看護師とは珍しい肩書きとなりますがどのような職種になりますか。
もともとは看護師をしておりまして、大学病院と一般病院に勤務しておりました。産休をきっかけとして退職し育児に専念しておりましたが、ある程度時間が取れるようになったときに、同じく看護士をしている母親から「精神特化」の看護師へと誘いがありました。
–精神特化といえば、まだまだ時代的に偏見が残っていたことと思います。環境の変化に戸惑いはありませんでしたか。
最初は私自身偏見がありました。鉄格子で囲われて外に出られないとか、少し怖い印象はありましたね。ところが実際に勤めていると、精神科を退院した人が通って来る場所への配属が決まり、患者さんは皆素直で優しかった。夜勤、朝勤や救急の対応などがなく、時間のやりくりが比較的自由だったこともあり、以後15年間、精神特化の看護師としてキャリアを積むことができました。おかげさまで、子育てをしっかりしつつキャリアを積むことができました。
前職では訪問看護も
–時間のやりくりが比較的自由で、15年のキャリアとなれば順風満帆なキャリア構築のように思われます。今回、(株)エラーブルの管理職ということで、職場を変わられた経緯をお聞かせください。
もともと前職では訪問看護もやっていました。患者様が病院にかかりっぱなしになることなく、地域全体で医療的な支えがあればがんばれるのではないか。医療チームが整っていれば患者様は自宅で療養もできるのではないか、という思いはありました。また15年の長期間の勤務でしたので、大病院ならではの医療的な方向性に疑問を持つこともありました。
–そのような状況の中で、薬局が母体となった看護ステーションの新規立ち上げの情報が流れた、ということでしょうか。
はい、最初は自分が管理者で大丈夫かな、訪問看護のステーション運営はやったことがないし、大丈夫だろうか、という自信の無さが先立ちました。
「訪問看護を地域に広めていきたいので力になって欲しい」
–そのそもどのようにして、今回のポストに対するオファーが来たのですか。
もともとはなの木薬局の勝村専務の奥様と友達だったんです。友人でもある奥様から会って欲しい旨の連絡があったのですが、最初はお断りさせていただきました。理由は経験のなさからの不安です。
–お断りの後、では、どのような経緯で再度お話をされるようになりましたか。
奥様から「どうしても」ということで勝村専務と会ってみることにしました。最初は正直「会うだけなら」という軽い気持ちでしたが、お会いしてみると「どうしても精神に特化した訪問看護を地域に広めていきたいので力になって欲しい。また、社長がすごくいい人で【この社長ならがんばれる】という社長なんだ」と勝村さんが熱っぽくお話しされまてした。
社内の人間関係がすごくいいんだな、という印象と、そうであれば自分が苦しくならず楽しく仕事ができる職場なのかも、という思いが涌いて魅かれました。子育ての方は一段落していたし、さらに友人の奥様が「前職を辞めて、飛び込んだとしても後悔しない会社」と言ってくれたのが大きな後押しになりましたね。
–会社が立ち上がり一ヶ月経過しましたが、事業についての営業状況などはどうですか。
ケアマネさんを招いてのセミナーを開いたり、計画通り進んでいます。
今後も自分たちの「こころ」が患者様、ケアマネさんたちに伝われば
今後も自分たちの「こころ」が患者様、ケアマネさんたちに伝われば、きっと任せてもらえると思っています。
精神特化の看護は認知症とまだまだ間違われやすいです。精神特化型看護はそもそも一般に知られておらず、まだまだ偏見があって、何をされるか分からない怖さから、地域でひっそりと暮らしている人が多いですね。そのような患者様と家族の方々の力に少しでもなりたい。鬱であったり統合失調症などの病については、それらは地域全体での医療的な支えがあれば自宅で暮らしていけるんだよ、というのをこつこつと伝えていきたいです。
そんな「思い」「こころ」が伝わっていけば、きっと地域の皆様に信頼され、継続的に受け入れられていくと思います。
インタビュアー /
はなの木訪問看護リハビリステーション浅野川 WEB担当
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